プロローグ






学ランの右ポケットにはずっと仕舞われたまま使われていない鍵がある。

「泉はあんまメールしないよね、なんで」
浜田に後ろから抱え込まれていたしんどい状況からなんとか脱出して、ソファ をひとり占拠する。そうして読みかけの本を読んでいたら唐突に浜田が話を戻 した。その話はいやだな、俺は弱点を晒すのがあんまり好きじゃない。
「別に。めんどいから」
こんな回答では浜田には明らかに嘘だとわかってしまう(あいつそゆとこ鋭い からなあ)けれどそれ以上追求されることはなくて、話の方向は変えられた。
「まーだ拗ねてんの?」
「ちっげえよ」
せっかく抜け出したのに今度はソファから引きずり下ろされて正面から抱え込 まれた。
「お前触りすぎ!」
「うん」
「聞いてんのかよ」
「うん(じゃあこの背中に回された手ってなにかなー言わないけど)」
「……」
「泉、」
声色が少し変わった気がして浜田を見る。その手にはケータイ(浜田の)が握 られていて、俺は嫌な予感がした。
「見て良いよ。泉に知られてまずいことなんてひとつもない」
そう言って浜田は俺にケータイを渡して、見たことのない笑い方をした。
なんだか寂しくなってしまって、目の前にある体にしがみついて目をつむる。 そうしたらなにも見えなくて体から伝わるだいすきな音しか聞こえない。心臓 と、よく響くテノール。
浜田は気づいてるんだろうか、実はいい声なんだよ、お前の声。もしそうなら メールをしない理由なんて簡単なのに。
いつからかは忘れてしまった、浜田はたまに俺の知らない(すごく大人びた) 笑い方をする。俺はそれがすごく、きらい。




浜田は俺にすぐ、すべてを見せようとする(そんなの望んじゃいないのに)
それよりこの胸の内を暴いてほしいんだよ、それまでどうしたって鍵は使えな い。
右ポケットの冷たい感触がわけもなく怖かった。

学ランの右ポケットにはずっと仕舞われたまま使われていない鍵がある。

「もう帰る?」
練習が終わって部室から出てきたらいつものように浜田が待っていた。応援団 の練習があって遅いとは言っていたけれど、それが終わっても待っていること を俺は知ってる。
「ん」


合鍵を、渡されたのは確か中3のころだった。
受験の時期だっていうのに、そのころから何故だかそれまで没交渉だった浜田 とよく会うようになった。
理由は知らされていない(浜田はなにも言わない)
けれど俺が学校帰りに寄れば必ず浜田は出迎えてくれたし(笑顔で)寒い部屋 で浜田に触られることはすきだった。
そうこうしている間に、いつの間にか合鍵なんてものを渡されていた。
これ、となんの説明もされず渡されたそれを、自分はどんな顔で受け取ったのだ ろう、覚えていなかった。
でも俺は気心が知れているとはいえ、高校という違う世界を持っている浜田の 領域に勝手に踏み込む気にはなれなくて、それはそのまま使われることなくポ ケットに仕舞われた。
時は流れても(学ランが変わっても)それは右ポケットに仕舞われている。使 ったらいいのにと何度か言われたけれど、そうして浜田が自分の領域のような ものを俺に晒すたびになんだか悲しいような気がして、
なんでだろうなあ。

「今日は寄らないの」
「帰る」
「そっか」
最近は寂しそうな顔をさせてしまっている(暫く浜田の家に行っていない)


渡されたまま返しそびれていた浜田のケータイが鳴ったのは3回だった。 そのうちメールは2件で1件は電話。
浜田と別れた後の帰り道で鳴ったその電話を思わず、というかなんだかもうど うでもいい気がして出た。
『あれ、泉ちゃんだ』
相手は浜田の元クラスメイトで、応援団のあのメガネの人だった。
『あんまり意地悪しないであげてね、最近元気ないんだよあいつ』
「…なんもしてないっすよ」
『あれそうなの。浜田が元気ないのって大抵原因はそこだからさ』
「元気なさそうには見えなかった、けど」
『そりゃいちばん大事な泉ちゃんだもんさー弱ってるとこなんて見せないでし ょう』
「……あんときの、電話の相手って」
『そう俺〜はは、まあ仲良く、な』
キモいしばかなやつだけれど、友達だから。そう言って電話は切れた。
鍵を渡したり、ケータイを預けてみたり、浜田も暴いてほしかったのかな(自 分から見せる勇気がないから)
おれと一緒か。

右ポケットの鍵を使うときが来たような気がした。

「そういうことなのか」
俺は迷わず今来た道を戻る。
チャイムは鳴らさずに鍵を、差し入れた。

「はまだ」
「泉、どうしたの」

ああ
俺はこの声がすごく、すき。






(051011)2000hitお礼かなにかだった気がします。