すごく晴れた日だ。あのじいさんにとても似合っている。
ひるがえる白の極彩色
いつも黒っぽい服を着ている上に度を越して地味なので目につかなかったが、昼食にマヨネーズをかけようと調味料の棚に手を伸ばしたところで唐突に、今朝の山崎の出で立ちが葬式に行くものだったのかと気がついた。黒い着物にはどこのかわからない紋が入っていて、いつも適当に流している、見た目よりやわらかい髪はきちんとうしろにひとつ結われていた。枕元でした行ってきますの声が少し硬かったかもしれない。目を閉じていて顔を上げなかったことは失敗だったと、脳の一部が冷たく言っている。
マヨネーズを取ろうと思って上げたままだった手を下ろして塩を取る。俺もやきがまわったなあと思わないでもないが、自分の元にいることで、たとえ本人が望んでいるとしても、手を離させたものがある自覚がないわけではなかった。待たせている或いは諦めさせているものも、ある。ひどくかわいそうで、それ以上にいとおしい存在であると、素直に口に出来る自分と、立場と、相手であればどれだけ良かっただろう、直接涙を見たことなんてなかったけれど、泣きそうに歪んだ顔を何度か目にしている。なあおまえ、泣くことだってきっと少なかったはずなのに、馬鹿だな、なんでここにいるの。
理由なんて知っているけれど何度だって質してやりたくなるから何度でも言っている。そんなのは、間違っているんだよ。毎度毎度、ちゃんと聞いてんのかばか。
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あれえどうしたんですこんなところでぇといつも以上に頭の悪そうな声がしたのでおかえりの代わりにひっぱたこうと手を上げようとして、思いとどまった。頬でも張られると思っていた様子の山崎はぽかんとしている。
縁側に座っていたので珍しく見上げる山崎の目は薄い水の膜があるだけで、赤い色になっているわけでもなく、表情もからりとしている。今朝結っていた髪はいつもの通りに戻っていて、まばたきだけを多くして、名前を読んでいる。
返事をするといつもよりも大人しい笑い方をした気がして、夜風に吹かれて乱れた髪が隠した顔が見たい。手を伸ばそうとしたところで、すごく良い天気で、あのひとに似合っていましたと声がした。低くて夜に染み入る声は本当に山崎の声なのかどうか不安になるほどだ。
山崎と昼間一緒にいることは少ないから、この男の声を聞くのは圧倒的に夜が多い。公私も混ざってしまってたくさんの秘密を共有しているいるふたりに、見たことのない面は少しだけおそろしい。
頭でも撫でてやりたいのに座っているせいで手が届かない。代わりに両手を引いてかちりと目を合わせた。悲しかったかと聞けば、そんなこともないですよと聞こえた。少しの間だったけれどあのひとに教わっている間楽しかった、俺に出来ることがあることを、最初に教えてくれたひとだったとも。
じゃあ何故悲しくないのかと目で問えば、楽しかった記憶があるからと言った。
楽しかったこととか、大事にしてもらったこと、あいしてもらった記憶が少しでもあればそれを大事にしてきっと俺はだいじょうぶなんです、これから先それを思い出せたら俺は生きていけると思うんですよ、そういう人間だ。でもあなたは違ったんですよねぇ。どんな気まぐれか偶然かあなたが俺のことを思ってくれた幸福を、その記憶だけを持って生きていくなんてことが、どうも難しい。別の組織に乗り込むなんて日常だし、いくつかの先は本当に居心地が良くなってしまってこのまま寝返っちゃおうかなあなんて思ったことも、ありましたけれどもね、あなたがいつまでも俺のようなものを気にかけておくわけもないので。でもねえ、いつの間にか贅沢になっちまいましたね、アンタがあんまりにも鮮やかなので、目が離せない、他のひとでは面白くなくて。いつかの終りまでで良いから、あなたからもらえるものひとつもこぼさないようにいたい。
本当に残念ですよ、俺はずっとひとりでいたかった、誰かを一方的にずっと好きなままで、あいされたくなんかなかった。知ってますか土方さん、あいされる孤独の絶望する、その色や深さを。
俺はあなたのことが本当に好きなのにと結んであまりにも悲しいことを一気にまくしたてた山崎は、手を離してくださいといつもの声に戻って言う。あなたの側にいるせいで俺は泣いたりしたことなんてありませんよ思い上がるんじゃないよと強めの声もする。こんな嘘をつかせなければならない関係はなんなのだろう。女じゃあないんだから、機嫌を取る必要もないし優しくしなくていいよって、軽い調子で山崎が言うのが嫌いだ。好いている相手には優しくしたいしたまになら甘やかしもしたいと思うのに、そこに男女の別があるのか。或いは上司部下。
俺には出来ないとなめている部分と、いらないと拒否している部分と、両方の意味で言っているのがわかるから腹が立つ。思ったこと全部言えば、あなたが今してやりたいと言ったそれは俺の役目なのでと、ひとりで閉じてしまう。さっきの長い口上と、両手の冷えた温度と、そういえば青かった今朝の空と、泣かない山崎を思って俺は泣きたい気持ちで、両手を引いて目の前のどうしようもない生き物を腕の中に収める。お前は本当は、俺のことが嫌いなんだろうと言えば、くぐもった声が肩口で、ひょっとしたら好きよりもそっちの方が近いのかもしれないと、またどうしようもない答えだった。続けて聞こえた、あなたが死んだら俺は悲しいから泣きますよと
いう声に、本当に好きなのは俺の方なのだなと、山崎と同じ色を初めて見ている。
(091020)
全蔵のお父さんのお葬式のお話のつもりが、あの、すみませんってことになりました…や…江戸の忍者はみんなあのひとにお世話になってる的な記述があった気がしたので…