親水性センチメント・前編 ○ 不機嫌そうな血まみれの山崎を夜明け前に見かける。きっと彼自身に傷はひと つもないはずだ、あれは全部他人の血である。庭にたたずんだまま山崎は動か ない。俺は声をかけない。小さな池も静まっている。 同情はいちばん望まれていなくて、ましてや労りと自分は距離があった。俺に 出来ることはいつもどうしてこんなに少ないのだろう。そうして出来るその少 ないことは、なんて力のいることだ。 「もう起きていたんですか、沖田さん」 障子はほんの少ししか開けていない。いつの間にかこちらを振り返って、困っ たように、へらりと笑う。気づかれていた。役職から見ても当然であるが、あ の弱そうで強そうな幼馴染に対して気配を消すなんてことはしない。無駄なの だ。 「山崎ィ、しくじってねえだろうなあ」 「勿論です」 「……土方さんなら、起きてますぜ」 ヤツの名前を出したら途端に緩む雰囲気が気に入らない、が、それもずっと昔 からなのだった。どうしてあんなやつ、という思いが普段の殺意へとわずかば かり拍車をかけている。いつだって山崎は土方がいちばんだ。 「さっき顔を見せたら、これ、においがひどいみたいですね、さっさと風呂入 ってこいって言われてしまって」 「……」 「あの人あれで、随分風呂好きですもんねえ」 状況に似合わないのんびりした口調であったが、それは自分が部屋へ戻らない からだとここでようやく気が付いた。真っ暗な池から目逸らすように背中を向 けた。水面は揺れていた。 「そんなもん明日でいいから寝ちまいなせえ」 「そうですね」 おやすみなさい、と障子越し、背中にかかる声にひどく安心する。山崎は相手 を安心させることが上手いと思う、同じように自分のことを隠すことも。わか っていて、あんな状態の山崎からの声に安心するとは一体どういう神経をして いるんだと我事ながらに思ったが、まあ、こういう神経なのだ。ごめんね山崎。 (これでもお前のことは好きなんですぜ) ○ 「総悟か」 障子越しに声がかかる。さっき見かけた監察ばりに神経を張り巡らせているこ の男なので、別段それには驚かない。すぱん、と乾いたいい音を立てて障子を 開けた。無言。 「……んだよ」 「まだ寝てたんですかィ」 「文句あるか、」 非番なんだよ、と蒲団に寝転んだまま煙草を吹かす黒い髪を凝と見て、気がつ く。今日はどうにもこの男をそれ程忌々しく思えない。それが忌々しいってわ けがわかんなくなってきた。 「それは違いまさァ、山崎が起こしに来ないからでしょ」 「……お前なにしに来たんだよ」 「別に、ただ俺は山崎が好きなんでね」 「……」 「わかるでしょ」 今朝方のあの庭で突っ立ってた顔が忘れられないが俺にできることはなにも ない。せいぜい腰の重いこの阿呆じゃなかった土方をせっつくくらいしか、た ったそれしか。 「お前暇なら蒲団干しといて」 そう言って立ち上がった背中を少しの満足とたくさんの憎しみと、その他色々 混じった感情で見つめた。 ○ 「沖田さん」 縁側で土方の蒲団を三つに折りたたんだものを座布団にしながらぼんやりして いたら山崎が来た。ことりと置かれた湯飲みにはお茶が注がれている。 「ご機嫌じゃねえですかィ」 「そんなことありませんよ」 へらりと笑った顔はあの夜見たように力ないものだったけれど、日の下に相応 しいそれに見えた。良かった。 「やまざき、」 嫌な声に顔を上げると土方だった。その足元は金盥の水に浸っていて、声がした瞬間から山崎の意識は当然のよう にヤツに向く。面白くないことではあるが、それでいいと思った。ふわりと 笑う、この顔を俺では引き出せないので。 山崎は土方に近寄っていって、同じようにその側に静かに湯のみを置く。俺のとは違 ってきっとその中身は冷まされている。土方は俺とは距離を取った縁側に座っ て、手にはいつものように煙草がある。煙はまっすぐに上って、ああなんてし あわせっぽい午後、と柄にもなく思い浸った。 ==================================================================== 沖田はともだちとして山崎が好きなのでした 070614 |