今日は日中特別暑かった。あまりに暑いせいでこのままでは脳が溶けてどうに かなってしまうという本能的危機感から、手近な部下(山崎ともいう)を殴っ て外へ出た。


夜の相手には困らないのであるが、散々女を相手にしてきた後でぼんやり山崎 を思った自分を抹殺したい気持ちになった。夜になっていくらか気温は下がっ たものの、籠もったような空気が気持ち悪い。これは相当脳みそをやられてい るに違いない、と纏まらない思考を野放しにする。適当にうさを晴らした帰り 道である。
もういっそ殺しちまうかな、と山崎についてまた考える。寝込みでも襲って、 あれは眠りが浅いので気が付かれはするだろうが、相手が山崎で、斬るのが俺 でも、腕が鈍るとも思えない。考えながら山崎の部屋の前に来ると、もういく らか遅い刻限であるのに明かりが点いていた。挨拶なしに障子を開け放して、 こんな時間までなにしてんだ山崎のくせに、と言い放つ。障子は、たんっと良 い音をたてて開いた。そういえば自室の襖は普段の扱いが悪い所為か、途中で 引っ掛かって上手く開かない。元より自分にはなにかを大切に扱うことなど出 来ないのだと、そう思っている。なにかを大事にしたい気持ちはあるのだけれ ど、上手くやれない、わからない、ので苛々してより扱いが悪くなって更に歪 む、という最悪のスパイラルだった。
襖は直させようと手近な部下(山崎といってもいい)を呼びつければ、何故だ か引っ掛かることなく上手く開いて、なんだ開くじゃないですかつまんないこ とで呼ばないでくださいよ俺だって忙しいんですから、ってかそれともアンタ これ口実で、本当は構って欲しかっただけなんじゃないですかあ!なんて馬鹿 丸出しなことを言われた日には一発殴って乱暴に襖を閉めた、かったのだが、 また引っ掛かってイラッときてそのまま蹴り倒した。もうそのまんま開けてお きなさいよなんて言われて、面倒だったし言われた通りそのままにしておいたのだった 。


障子を開けたきり黙りこんでいる俺を不審がった山崎は元々大したことない顔 を、お、その方が個性的じゃねえの?くらいのおかしさに歪めてひとの顔を覗 き込んだ後、なにを思ったかじりじり後退りし始めた。問えば、いえ、なんか 酔ってるかサカッてるかのどっちかだなあって思って。ふうん。そうか俺は良 い上司だからなあご要望にはお応えしなきゃなあなどと言って、山崎の口が、 げっ!の形になるかならないかの、そういう速度で正座のまま固まっている山 崎の膝に向かって突っ伏す。この膝が硬くてなんの寝心地も良くないことは知 っているが、どうでも良かった。ちょっとなんですか寝るなら風呂行って自分 の部屋行って布団に入ってくださいよ!とか喚く山崎に俺はああとかうんとか 言って、しかし動く気はない。不思議なことにこれの小言をうるさいと思った ことはない。同じようなことを、例えば今日会ったみたいな女に言われれば嫌 な顔のひとつもするのだが、何故だろうかとそれは深く考えないことにしてい る。ひじかたさん、と無駄だと知っているだろうに諦め悪く呼ぶ山崎を無視し 続ける。柔らかい発音が、土方を部屋へ帰すことをもう諦めていると知らせる 。この独特の声にもあるのだろうか、女の、頭に響く高い音とは違う、頭に染み 込む音だった。襖の開け方が上手いと、ひとのこころの開け方も心得ているの だろうかと馬鹿なことを考えた。本当はそうではなくて、元々所作の静かな男 であると知っている。静かで、しかし身の内の情感豊かな人間であること。


暑さのせいで甘ったるい思考になっている。首筋の空気が微かに揺れたので、 なに事かと俺は頭の向きを変えた。山崎はくすぐったいのでここで寝るならそ れらしくしてて、と団扇で俺の上空あたりをあおいでいた。蚊を追ってくれて いるのだろうか、耳を下にして横になると自分の鼓動が聞こえる。山崎には伝 わらないだろう、そうあって欲しいと思う。手を伸ばすと、なんですかと顔を 寄せてくる。意味もなく頭を撫でてやれば嬉しそうな顔をした。こんなことで 喜んでいるような、暢気な(そうして優しい)やつは、俺のこの音が終わると きも、そんなこと知らされないまま平和そうに笑ってればいい!と多少自棄に なって考えた。その情感のために馬鹿な山崎が馬鹿なことをしないように。






二十億と夏虫





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蚊にはお気をつけて
0700828