つま先だけで入り込む夜のワルツ








キスは一度だけしたことがある。昨夜のことだ。顔をしかめてそれでと意味を 問えば、苦笑いしか返ってこなくておやすみと言われた。刹那には少し早かっ たな、そう言って髪を撫でる手にはいつもの手袋がある、手肌を見た回数はい くらもない。14歳は言うほど子どもだろうか。

足音のしない歩き方をして目の前を通り過ぎようとするとロックオンに引き止 められる。昨夜のこともあるので無視しようと思ったが、それもまた子どもだ と笑われる気がして腕を取られるまま立ち止まった。名前を呼ばれる。せつな、 とその名前が自分のものだと、意識させるようにじっと目を見て口にされると いつからか本当でないそれなのにぎゅうと心臓がつかまれるようになった。その 名をいちばん多く呼ぶのはいつでもロックオンだろう。煩わしかったのは最初 のうちだけで、もう近頃はちゃんと嫌な顔が出来ているのか自分ではわからな い。
なに、とまともに答えると少し驚いたようだった。顔をしかめられることに慣 れてしまっているロックオンは、少しかわいそうかもしれない。ソファに座ら されて代わりにロックオンが下りる。床に膝をつけて跪くように足元に座り込 むのでなに事かと驚いてなんだと言おうとすると、右足首を手に取られた。驚 いて声が引っ込むのが悔しくて、もう一度なに、と言うと自分の口から出た声 は少し焦ったように響く。靴擦れ、とロックオンが呟く。黒いシンプルな靴の 下は素足で、踵が赤くなっていた。いつからだ、といつもより低い声が問う。 そういえば昨日の昼間から、少し踵が気になっていたかもしれなかった。ああ それで、昨夜モレノのところへ行こうとしたところで、ロックオンに捉まって、 それから。

刹那?とロックオンが呼んでいる。顔が熱くなったような気がして腕で隠して 下を向いた、のがいけなかった。下から覗き込まれて当然のように腕は外され る。時々敵わない腕力を承知の上で行使してくるのは、嫌いなところだ。お前 のせいだ、と言えば何故だかわからないまま涙目になって、視界が揺らぐ。踵 の微かな痛みなんて、どうして忘れていたのかいつか目の前の男に伝えなけれ ばいけない日が来る?
なんだよ、泣くなよと目元を拭われてはっとする。俺の頬を撫でる手に手袋は なかった。素肌は普段日に晒されないせいなのか、生まれつきなのか、真っ白 で、とても美しいものだった。
泣いていない、と言ってみたけれど聞こえたかどうかはわからない。頬にある 手を取って、濡らしてしまった指先を舐めた。ロックオンはさっきから表情も 変えず黙っているので、俺は顔が近いことには気付かない振りをしてぎゅうと 手をつかんでいる。ああずっとその手袋の下の手に、直に触れてみたかったのだ。









(080407)